灯りを活用して最期もアピールした信長

2011-03-05

1582年6月2日、織田信長が明智光秀の謀反により、本能寺で命を絶ったことは、よく知られている。信長は、少人数の家臣と本能寺に泊まっていたときに襲われた。夜明けに近いころ、本能寺を取り囲んだ明智光秀側は信長の捜索をするが、当初は薄暗さのなかでなかなか見つけられなかった。しかも少人数でも信長側の守りは堅く、時間がかかるばかり。10時になってもまだ信長を見つけられず、光秀は焦った。やっと、光秀の手足となる家臣・安田作兵衛が信長を見つけて追跡。信長は建物の奥へと逃げるが、そのさいに閉めた障子に消え残った灯火が信長のシルエットを映し出していた。作兵衛はその影に刀を突き刺すが、失敗。そうこうするうちに信長は、部屋のなかで短槃(高さが低い灯火具)を蹴り倒して畳や障子に火をつけ、そのなかで切腹したのだ。この信長自害の様子は、文献により異なる。火を自分に放って火柱になったとか、カッと目を見開いて炎に飛び込んだなど、芝居やドラマの目玉のシーンとしてさまざまな姿で描かれている。実際に目の前で見たことがある人がいないのだから、しかたがない。だが一つ言えることは、最後まで信長は、自分演出を怠らなかったということ。しかも火を含めた照明を上手に使って行っているのが特筆すべき点だ。最後の最後まで、強くてカッコいい信長をアピールするために、灯りを蹴り倒して火の演出のもとでの自害。さまざまな演出家がこのシーンに力を入れてしまうのも、うなずける。信長自身も、人生の幕切れは、裏切り者に斬られるというみじめな形にしたくはなかったのだろう。さらに、3年もの年月と費用をかけて信長PRのために建てられた安土城が、信長がこの世から消えたと同時に火災にあって焼失してしまったという点は興味深い。「記憶には残すが物は残さない」そんな信長の強い遺志が感じられてならない。