3人のクリエイター達の活躍の背景に通底するミューズこそが山口小夜子の存在なんです。ロンドンでのショーを成功裏に終えたやまもと寛斎が、当時最も先鋭的な空間であった渋谷西武の「カプセル」を舞台に凱旋ショーを行った際にデビューしたのが、新進気鋭のモデル山口小夜子だったんです。黒い瞳の切れ長の日本人形のようなボブヘアー、陶磁器のように透き通った肌の質感…。全身ジャポニスムの記号をまとったような彼女が、どうやって並いる外人トップモデルをその小柄な身体で凌駕して世界の頂点へと上りつめたのか。それはあくまでピュアな存在になりきる彼女独自の身体表現にあったと思います。72年のオイルショックが巻き起こした経済的打撃はモード界にも大きな影を落としました。完成度の高いテーラーリングをほどこしてきたアトリエの工賃が問題視された結果、“ビッグルック”と呼ばれる、それこそ布地をジャーっとミシン掛けして布袋のように制作したモードが、トレンドとして注目を浴びたのは数年後のことです。そうなると従来のクチュール的なウォーキングを得意とするトップマヌカンでは表現しきれないんです。そこに東洋から来た小柄なモデルが、舞踏ともダンスともつかない幻想的な表現力によって作品を魅力的に輝かせたわけです。だから小夜子さんは、単なるモデルという存在を超越した表現者としてモードクリエイターとコラボレートできた人なんです。彼女の存在が3人の日本人気鋭クリエイターの作品性をよりパリーモード界に印象づける大きな要因となったに違いないんです。後にも先にも山口小夜子という“クリエイター‘“を超えるモデルは登場していないのですから。