完成度の高いものはかならずしも必要ではない

2011-03-08

ケータイ小説の出現を見てもうひとつ気づくのは、「完成度の高さ」はかならずしも重要ではないということだ。これまでメディアの情報発信者は完成度を高めて送り出してきた。小説ならば、文章の技術を磨き、プロの校正者の手を経て完成度をさらに高めて刊行された。しかし、受け手がもっとも重要に思うのは、かならずしもそうしたことではなかった。どういうものが最優先されるかはそのときどきで変わるにしても、たとえばケータイ小説ならば、それは「共感できる物語」かどうかということだろう。そうした観点からいけば、小説の技術などは二義的なものでしかなかった。共感できるかどうかが重要だということは、小説にかぎらず、多くのコンテンツにあてはまる条件になってきたように思う。情報がメディア側から読者・視聴者に向けて一方向に発信されていたときには、こうしたことは起こりにくかった。「共感」ということが重要な要素になるには、「共感の輪」が広がりうる環境が必要だった。共感が共感を呼んで影響力を持つことができる技術的基盤があってこそ、こうしたことが可能になる。不特定の人が不特定の人に向けて情報発信できるネットという技術の登場によって、「共感」という要素がかつてなく重要なものになってきているということがいえるのではないか。キンドルはなぜ成功したのか二〇〇七年一一月一九日、米アマゾンは「キンドル{}{一乱F}」と名づけた読書端末の発売を始めた。端末の外見は、ソニーの読書端末「リブリエ」に似ていた。Eインクの電子ペーパーを採用していることもリブリエと同じだった。Eインクはカラーの開発も始めてはいたが、実用化はまだできなかった。アメリカで売っているソニーの読書端末は二九九ドルだが、アマゾンはキンドルをそれより少し高い三九九ドルで売り出した。見た目でいえば、リブリエのほうが洗練されていた。しかし、こうしたことはアマゾンの成功の妨げにはならなかった。アマゾンのキンドルは、そこそこの見映え(「不細工」という評もあった)にもかかわらず、成功する要素がいくつも盛りこまれていた。これまで見てきたように日本の電子書籍端末の失敗の背景には、紙の本とさして価格の変わらない電子書籍を読むために高い端末をわざわざ買うのかという問題があった。アマゾンは、そうした疑問に答える驚くべき戦略をとっていた。キンドルは発売の時点でニューヨークータイムズのベストセラー・リスト一二一点のうち10一作品を含む九万点を、一部例外を除いて九・九九ドルで販売した。しかし、九・九九ドルでは逆ざやになる本がかなりあったようだ。アマゾンは、出版社にはこIドルから一三ドル支払っており、売り値よりも仕入れ価格のほうが高いものがかなりの数あったのだ。こうした本は売れば売るほど赤字になる。大手出版社の人間が、アマゾンで九・九九ドルで売られていると聞いてびっくりしたようだった、と米ニューズウィーク誌が書いていた。

[参考]
デジタルカタログ活用ガイドホームページ