悠久の地、中国との付き合い

2011-11-14

モデルの養成学校を作ったらどうか、というEさんの提案に新政府も大乗気になり、一九九一年六月、大連で初のモデル学校が設立された。当時のトップモデルの于梅(ユメイ)が校長をし、Eさんは顧問になった。大連から日本にモデルを連れて来たり、スポンサーを見つけるなど、五年間公私に渡って応援し続けて来た。「五年回で充分ひとり立ちができるようになっていました。結局、私たちが面倒を見たのはハイハイからよちよち歩きができるかな、というところくらいまででしたね。お手伝いはしましたが、それ以上は断りました。相手は悠久四〇〇〇年の歴史がある立派な国ですから、私などがそれ以上のことをすることはできません。それにできることしかやらないというのが私の主義ですから。今でもおつき合いが広がっているのは、私がイエスノーをはっきり言う人間だからなんです。日本人独特のあいまいな言い方は一番嫌われるんです」当時、中国ではまだ契約書などなく、口約束が主だった。だから、日本と中国の契約は非常にあいまいだった。日本人が名刺を渡すと中国の人は、自分のところと提携するといって、有頂天になる。しかし、意に反して半分くらいはナシのつぶて。当時の中国人は日本人との付き合い方をどうすればいいか、非常に悩んでいた。そんななかでEさんの存在は際立っていて、やることすべてが本当の事、約束したことは必ず守るといった付き合い方が彼らの全幅の信頼を得ていたのだ。